2010年12月24日
ザ・グレートスモーカーvol 7
吉田茂と葉巻とユーモア
戦後の日本を復興へと導いた吉田茂(1878-1967)は、
無類の葉巻好きとして知られ、数々のエピソードを残している。
毒舌ユーモアその1
連合国軍最高司令官として来日したマッカーサーと初めて対面した時のこと。
やや横柄な態度で葉巻をすすめたマッカーサーに対し、吉田は
「それはマニラ産でしょう。私はハバナ産しか吸いません」
と毅然とした態度で断ったという。吉田の気骨あるふるまいが、
マッカーサーの彼に対する評価を高めたことは言うまでもない。
その後、マッカーサーが日本を離れるまで、
両者の関係は終始良好であったという。
戦後の混乱期に首相の重責を担った吉田茂は、
一国の宰相にふさわしい威風堂々ぶりを「葉巻」で演出したのだ。
毒舌ユーモアその2
憲法改正を急ぐ吉田に疑問を呈する議員たちに対して「日本としては、
なるべく早く主権を回復して、占領軍に引き上げてもらいたい。
彼らのことをGHQ(General Head Quarters)というが、実は、
『Go Home Quickly』の略語だというものもあるくらいだ。」
と、吉田らしい辛辣な皮肉をこめた答えを返した。
毒舌ユーモアその3
GHQに提出した統計資料の数値が根拠に乏しく
マッカーサーの怒りをかった事があった。それに対して
「統計がまともに取れるくらいなら、あなたの国とあんな無謀な戦争はやらなかったでしょう」
と返した。これにはマッカーサーも苦笑するしかなかったという。
毒舌ユーモアその4
ある日、会いたくなかった客人に対して居留守を使った吉田であったが、
その客人に居留守がばれてしまった。
抗議をする客人に対して、吉田の返答は
「本人が「いない」と言っているのだから、それ以上確かな事はないだろう」
癇癪持ちの頑固者であり、また洒脱かつ辛辣なユーモリストとしての
一面を一部ご紹介したが、サンフランシスコ講和条約を命がけで締結した
日本の素晴らしい宰相であると思っている。
また、葉巻が良く似合う・・・。
戦後の日本を復興へと導いた吉田茂(1878-1967)は、
無類の葉巻好きとして知られ、数々のエピソードを残している。
毒舌ユーモアその1
連合国軍最高司令官として来日したマッカーサーと初めて対面した時のこと。
やや横柄な態度で葉巻をすすめたマッカーサーに対し、吉田は
「それはマニラ産でしょう。私はハバナ産しか吸いません」
と毅然とした態度で断ったという。吉田の気骨あるふるまいが、
マッカーサーの彼に対する評価を高めたことは言うまでもない。
その後、マッカーサーが日本を離れるまで、
両者の関係は終始良好であったという。
戦後の混乱期に首相の重責を担った吉田茂は、
一国の宰相にふさわしい威風堂々ぶりを「葉巻」で演出したのだ。
毒舌ユーモアその2
憲法改正を急ぐ吉田に疑問を呈する議員たちに対して「日本としては、
なるべく早く主権を回復して、占領軍に引き上げてもらいたい。
彼らのことをGHQ(General Head Quarters)というが、実は、
『Go Home Quickly』の略語だというものもあるくらいだ。」
と、吉田らしい辛辣な皮肉をこめた答えを返した。
毒舌ユーモアその3
GHQに提出した統計資料の数値が根拠に乏しく
マッカーサーの怒りをかった事があった。それに対して
「統計がまともに取れるくらいなら、あなたの国とあんな無謀な戦争はやらなかったでしょう」
と返した。これにはマッカーサーも苦笑するしかなかったという。
毒舌ユーモアその4
ある日、会いたくなかった客人に対して居留守を使った吉田であったが、
その客人に居留守がばれてしまった。
抗議をする客人に対して、吉田の返答は
「本人が「いない」と言っているのだから、それ以上確かな事はないだろう」
癇癪持ちの頑固者であり、また洒脱かつ辛辣なユーモリストとしての
一面を一部ご紹介したが、サンフランシスコ講和条約を命がけで締結した
日本の素晴らしい宰相であると思っている。
また、葉巻が良く似合う・・・。
Posted by けむり屋店長 at 20:30
│ザ・グレートスモーカー